« 2012年2月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月29日 (金)

MIPE2012参加報告(その1)

 国際学会MIPE2012は、日米の機械学会の共催にて3年に一度のみ開催される、情報・知能・精密機器のメカトロニクス関連では世界最高峰の学会である。発表件数は150件程度と中規模ではあるものの、特にHDD (Hard Disk Drive) を初めとする情報機器のナノトライボロジーに関する研究分野では、学術界のみならず産業界からも、実用化に即した世界最先端の研究成果が多数発表される場として知られている。同学会に参加し、最先端のMEMS及びナノトライボロジー研究に関する情報収集を行った。
 また、産学各界における世界最高峰の技術者が集結する同学会は、BEANSの研究活動を世界にアピールする場としても最適であることから、3D-BEANSセンターにおけるナノトライボロジー研究成果についての口頭発表を行った。

Mipe201201

研究件数と分類
 キーノート、ゲストスピーチを含めた本学会の全講演144件における、セッションごとの発表件数を以下に示す。情報・知能・精密機器メカトロニクスの学会という成り立ちから、HDDの潤滑・機構・制御技術に関するセッションの発表件数だけで全体の1/3強を占めている。中でも潤滑に関する発表件数は群を抜いている。

Mipe201202


 次に、国別発表件数の割合を以下に示す。日米の機械学会の共催ということで、日本からの発表が約半数を占めているが、対する米国機械学会(ASME)側の発表者は世界各国に亘っており、実質的に『世界機械学会』の様相を呈している。また、発表国は実際に情報・精密機器(HDD、光ディスク等)のビジネスを行っている国(日、米、韓など)に集中しているが、特に国を挙げて情報ストレージ関連産業育成に取り組んでいるシンガポールの健闘が目を引く。


Mipe201203

研究成果発表
 Micro/Nanosystem Science & Technologyのセッションにおいて、“Investigation on the three tribological factors (electric contact resistance, wear and friction) at a nano-scale contact area of probe devices”というタイトルで、ナノトライボロジー研究成果に関する口頭発表を実施。具体的には、ナノスケール摺動接触面を有するMEMSプローブデバイスを実用化する際のトライボロジー関連3大機能要求(接触電気抵抗低減、摩擦力安定化、耐摩耗性向上)に対して、系の構成材料が備える諸々の材料物性がそれぞれどのように寄与しているのか、という課題に対する調査と考察を行った結果を報告した。
 発表は学会のメイン会場にて行われ、多くの聴衆が参加する中、本プロジェクトの成果について国内外の関連研究者に対するアピールを行うことができた。チェアマンからは、ともすれば専門的すぎて難解になりがちな、非常に実践的で堅実なトピックスを、大変分かり易く説明しているとの好意的な講評を頂いた。また、『最終的に実用化を目指す場合、ナノスケール摺動接触面における最適な組み合わせは何になるのか』といった質問も受け(→貴金属の表面を極薄の導電性酸化膜で被服した系が最適、と回答)、ナノプローブデバイスの実用化に対する関係者の関心の高さを伺い知ることが出来た。


研究動向調査
 同学会において、“Head/Media Interface and Tribology”、“Drive Mechanisms”等のセッションを中心に、主としてナノトライボロジー及び情報機器向けMEMS関連分野を中心とした、最新研究動向の情報収集を行った。注目した研究発表とその概要を以下に列挙する。

“Design principle of micromechanical probe with an electrostatic actuator for friction force microscopy” (K.Fukuzawa et.al., Nagoya University, Japan):
 摩擦力顕微鏡においては、検出プローブの曲げ(荷重方向変形)と捩れ(摺動方向変形)のモードが相互作用を及ぼし、両者の切り分けを阻害することが課題となっている。これを防ぐため、発表者らはMEMS技術を用いて荷重方向変位と摺動方向変形を完全に切り分けられる、特殊な構造のプローブを構築した。更に発表者らは、カンチレバーの側壁に静電型の駆動アクチュエータを追加構築することで、摺動速度が速い領域での摩擦力計測にも成功している。
 摩擦力の精確な定量化や、摺動速度の高速化に関しては国内外多くのトライボロジー関係者が頭を悩ませている点であり、独自構造のMEMSプローブを用いてこうした課題を解決している点は大いに参考になる。更に着目すべきは、これらのMEMSプローブの作製を、高価なBoschプロセス(深掘りエッチング)を用いずに安価な水酸化カリウム(KOH)水溶液によるSi異方性Wetエッチングプロセスのみで実施している点。設計制約が非常に大きいWetプロセスでここまで複雑な形状のプローブ作製を実現する手腕は賞賛に値する。

“Robust optimum design of hydrodynamic bearings for small size hard disk drive spindle motors” (Y.Sunami et.al., Tokai University, Japan):
 HDDのスピンドルモータ向け流体軸受の設計において、実際の量産時に発生する部品寸法公差ばらつきの影響を加味した上で、最もロバストかつ性能が最大となるような最適設計を導出するトライボロジーシミュレータを構築している。
 部品寸法交差の影響を総当り的に考慮するシミュレーションの技術的難しさもあり、えてして大学等研究機関からの報告は、量産性や製造性を無視した理想状態での設計最適化に関するものに偏りがちである。そうした中、量産時の部品交差を考慮した実用的な研究を行っている発表者らのグループは注目に値する。同グループは他にも本学会で、流体軸受の衝撃試験に関する報告を行っていたが、そちらで提案されている衝撃試験装置の構造も独創的で興味深いものであった。

“Behavior analysis of air bubble in oil lubricant of FDBs at low speed operating condition” (K.M.Jung et.al., Hanyang University, Korea):
 HDDのスピンドルモータ向け流体軸受において、特に低速回転時における軸受内混入気泡の排出メカニズムに関して、シミュレーション検討及び実機確認を行っている。流体軸受における気泡混入問題は、同軸受の製品信頼性を決定付ける重要項目であり、そうした実践的な検討を大学の研究機関が行っていることに注目したい。
 上記の発表以外にも、Hanyang大からはHDDスピンドルモータ用流体軸受に関する発表が3件あり、いずれもが設計最適化、耐衝撃性など強く産業応用を意識した発表であるとともに、その殆どが韓国Samsung Electro-Mechanics社の支援を受けた研究である。同社はつい先ごろ、日本のアルファナテクノロジー社を買収して本格的にHDDスピンドルモータ事業に参入した経緯があり、その技術力向上に向けて韓国内の研究機関を巧みに使いこなしている様子が見て取れる。日本企業としても産学連携の面で大いに参考にすべき点である。

“Silicon-polymer composite electro-thermal microactuator for high track density HDDs” (J.Yang et.al., Data Storage Institute, Singapore):
 HDDの高トラックピッチ化を目的とした、高精度位置決めMEMSマイクロアクチュエータ付きHDDヘッドスライダに関する報告。こうした用途のMEMSアクチュエータには従来、櫛歯型構造の静電駆動やPZT素子の圧電駆動を用いたものが多かったが、発表者らはSi構造体と樹脂材(SU-8)を積層した熱アクチュエータを用いて同様の機能を実現している。熱アクチュエータは、HDDでは既にヘッドの浮上量制御に使用されており、構造が単純で大きな変位が得られるというメリットを有するが、動作応答速度が遅いという弱点があった。しかし発表者らは構造最適化により、msecオーダでの数10nmストロークのヘッド駆動に成功している。
 シンガポールの国立研究機関であるData Storage Instituteは、HDDを初めとする情報記録デバイスに関するユニークな研究を多数実施している機関として知られ、本学会でも多くの発表を行っている。本研究に関しても、一見HDD位置決め用途には適さない熱アクチュエータをきちんとHDDヘッドスライダ内に作りこみ、実機評価を行うインテグレーション力は大したものである。但し、Si構造体の狭い隙間にSU-8をスピンコートで塗布するという製造プロセスの量産性には疑問が残り(出張者も質疑応答でその旨を質問したが、納得のいく回答は得られなかった)、実機適用に向けてはまだ課題があるものと考える。

“Design of carriage with two-layer coils for hard disk drive actuator” (K.Suzuki et.al., HGST, USA):
 厳密にはMEMSアクチュエータの研究ではないが、興味深い発表なのでここに紹介する。HDDのヘッド位置決めに用いるボイスコイルアクチュエータにおいては、マグネットの磁気中心とコイルの物理的中心がオフセットした際に生じるコイル共振モードの励振が、高精度位置決めの課題となっていた。発表者らは、コイルを上下2層に分割し、中心のズレに応じてそれぞれのコイルにかけるパワー配分を変化させることで、この共振モードの抑圧に成功している。
 追加の部品等を導入することなくコイルの上下分割のみで機能を実現していることから、本技術を実機適応する際に装置コストや製造性に与えるインパクトは限りなく低いと考えられ、その点では非常に実用化に近い。トータルでコイルが発生し得る最大パワーの低下、ひいては装置パフォーマンスの低下が懸念されるが、それを差し置いても注目すべき研究。
 嘗て日立グループに所属していたHGST社は、HDDビジネスで高いシェアを誇る傍ら、非常に外部への研究発表に熱心な会社として知られており、本学会でも多数の発表を行っているが、こちらも近年、米国Western Digital社の資本下に入った。こうした旺盛な研究意欲や外部指向性を持つ会社が外資の手に渡ってしまうことは残念である。

“Hard particles induced physical damage and demagnetization in the head-disk interface” (J.Zhao et.al., Xi’an Jiaotong University, China):
 HDDヘッドスライダの信頼性に関する発表。HDDヘッドスライダの浮上中に、衝撃等によって発生したumスケールの微小パーティクルが接近すると、スライダ表面のエアベアリングパターンがパーティクルを巻き込んでしまい、記録媒体表面に塑性変形、熱減磁等のダメージを発生させることが装置信頼性上の問題となっている。発表者らは、実際のヘッドスライダ及びドライブを用いた実験により、パーティクルのサイズごとに異なってくる発生現象を、AFM(Atomic Force Microscope)、MFM(Magnetic Force Microscope)等のプローブ顕微鏡システムを駆使して解明している。
 HDDトライボロジー関連研究の大家であるカリフォルニア大バークレー校のBogy教授らのグループとのコラボレーションによる発表であるが、1st Authorは中国研究機関の所属である。現在、HDDの装置ビジネスの開発主体にはなっていない中国の研究機関からこうした実践的な発表が出始めていることには注視する必要がある。

その他
 本学会のBanquetteにおいて、米Seagate社のHDD機構系開発部門のVPであるHarlan Kragt氏のゲスト講演が行われた。技術的な話題はあまり含まれていないものの、HDD業界のビジネス戦略に関して極めて示唆に富んだ内容であったため、参考までに(質疑応答内容を含めた)講演内容の要旨を以下に示す。

・ HDD業界の状況や将来については様々な意見があるが、発表者は現在が過去最良の状況だと認識している。事実、業界関係各社の収益も非常に良好である。これは、なによりプレイヤーの数の減少(現在はSeagate社、Western Digital社、東芝の3社)に伴う売価安定化の寄与するところが大きい。
・ 今後も、情報記録ニーズの伸びは年率40%程度と予測され、大容量低コストストレージの需要が減ることは無い。一方、これに対し今後の面記録密度の伸びは年率25%以下と見積もられる。この乖離をどう埋めるかが技術的チャレンジとなる。一つの解決策は、ドライブ1台あたりのディスク枚数、及びヘッド個数を増やすこと。従来のようにディスク1枚あたりの容量ばかりに着目するのではなく、今後はあくまでビット単価で議論することが重要。
・ SSD(Solid State Drive)等の半導体ストレージによってHDDビジネスが死ぬ、という議論は終わりを迎えた。現存する両者間のビット単価の乖離は、今後も埋まることはないと予想している。フラッシュメモリは、単位収益を上げるために必要な投資額が今後拡大していくばかりであり、継続的に収益を上げられる体質のビジネスではないと考えている。
・ 記録密度向上のための次世代技術として、まずShingled Recording技術が導入されるのは規定路線。2自由度アクチュエータも実用化段階に入っている。その後はHAMR(Heat Assisted Magnetic Recording)が来ると予想している。HAMRにおいて必須である発光素子を搭載したヘッド&ドライブ構造は確かにメカ的には大きなチャレンジだが、実現できないことはないと考えている。それに対し、BPM(Bit Patterned Media)等加工媒体の実現に向けたハードルは極めて高く、出来たとしてもHAMRより後になるだろう。HGST社の技術者達が現在でもBPMに強く固執していることには違和感を覚える。
・ 繰り返しになるが、HDD業界は現在が過去最良の状況である。以前と比べて技術課題が極端に高難度化しているという認識は無い。将来予想されるニーズを満たすために、実現可能な技術課題をクリアしていく、という点では昔も今も技術者がやるべきことに違いは無い。プレイヤー企業の数が減った分、業界トータルでの技術者雇用数は減っているかもしれないが、この業界に技術者の活躍の場があることは今後も変わらない。本学会で研究発表を行った若い有望な学生達には、是非この活発な業界で働くことを志向してほしい。

以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年7月 »